消えた武豊の三連覇。7㎝で逃した三冠の偉業……「10の悲劇」から過去のダービーを振り返る。
今年もこの季節がやってきた。2014年に産まれた約7000頭の頂点を決める東京優駿(日本ダービー)である。1932年から始まり今年で84回目となるが、終戦前後に2度の中止があったものの数々のドラマを生んできた。今回はその中であえて「悲劇」に焦点を当て、レースの出走馬に限らずその年のダービーにまつわる様々な出来事を紹介していこう。
1944年第13回:カイソウ(優勝)
第二次世界大戦中のため娯楽としてのダービーは行われず、ダービーではあるものの東京能力検定競走として無観客の中で軍関係者などを前に行われた。わずか200名ほどが見守る中2着に5馬身差をつけて勝利。その後サラブレッド系種という血統から種牡馬になれず、現役引退後は軍(名古屋師団)に売却されて乗馬へ。1945年の名古屋大空襲で死亡もしくは行方不明となった。
1951年第18回:トキノミノル(優勝)
デビューから10戦10勝でダービーを優勝した名馬。もともと脚元に不安があり、ダービーもまともに調教ができないなど出走が危ぶまれていたが、驚異的な回復で出走して見事勝利をおさめた。しかしその後破傷風に冒され懸命に治療を受けるも17日後に死亡。治療に使われた費用はダービーの優勝賞金に匹敵する額だったといわれている。
1967年第34回:アサデンコウ(優勝)
皐月賞は1番人気で7着に敗退したが、雪辱を期したダービーは見事に勝利。しかもレース中に骨折しながらの勝利という奇跡的なものであった。ただその影響でレース後の口撮り撮影に参加できず、馬が不在の優勝写真撮影となった。その後競走馬として復帰することはかなわずそのまま引退。ダービーの栄光は手にしたものの失ったものも大きい。