エルコンドルパサー、グラスワンダー、そしてクロフネ、シンボリクリスエス…一大「外車ブーム」に火をつけた90年代「バレッツ詣」とは【競馬クロニクル 第29回】
競馬の世界に「外車」(外国車)という表現があるのはご存じだろうか。
これはいわゆる「外国産馬」のことで、現在も出馬表には馬名のアタマに「マル外」(○で「外」で囲んだ特殊文字)が付けられているので、内国産馬(日本産馬)との区別はつきやすい。
日本には戦前から種牡馬や繁殖牝馬がしばしば輸入され、それらが残した貴重な血統がいまも息づいている。そしてその後、競走馬となる活馬(生きている馬の意)の輸入が全面的に解禁された1971年6月以降は、海外のセリ市などで購買した馬を日本で走らせるオーナーが徐々に増えていった。輸入の際に少なくない関税がかかり、当時は出走できるレースに大きな制限がかかっているのを承知でのことである。
解禁以前のことではあるが、8戦8勝の成績を残し、種牡馬としても日本ダービー(G1)を制したサクラチヨノオーを出すなどの活躍を見せたマルゼンスキー(1974年生)は、英クラシック三冠馬にして大種牡馬でもあったニジンスキー(Nijinsky)の種を受胎した母馬シルを輸入し、そのあと日本で生まれた、いわゆる「持込馬」だった。
しかし残念ながら当時「持込馬」は「外国産馬」と同じ扱いを受けていたため、いまで言うG1級のレースにはほとんど出走できなかった。他を寄せ付けない異次元の強さを見せた彼に付けられたニックネームが「スーパーカー」だったことは有名だ。
そのころ、ヒット漫画『サーキットの狼』(集英社)などの影響によって、超高性能で先鋭的なデザインの外国車を「スーパーカー」と呼び、子どもたちのあいだで大きなブームを巻き起こした。
従来から知られていたポルシェやフェラーリに加え、ランボルギーニ、ロータス、ランチアなどがリリースしたハイエンド車種は、プラモデル、ミニカー、消しゴム、トレカなどが発売されて全国的に爆売れした。
同じ時期に勝ちまくっていたマルゼンスキーは「超高性能」の「外車(外国車)」ということで「スーパーカー」という特別なニックネームを授かったわけである。
一大「外車ブーム」に火をつけた90年代「バレッツ詣」とは
日本に「外車(外国車)ブーム」が巻き起こったのは1980年代の後半から1990年代、“バブル景気”の時代に突入してからのことだった。多くの競走馬が輸入されるなかでも特に目立ったのは、米国のバレッツ社が主催する「2歳トレーニングセール」で購買された馬だった。
トレーニングセールを簡単に説明しておこう。
米国の生産界には「ピンフッカー」と呼ばれる職種があり、主に1歳のセリ市で素質があると睨んだ馬(血統的には見劣ることが多い)を安価で落札。その後、育成・調教の専門家であるコンサイナーに預託し、1年かけて鍛え上げて2歳となった馬をこのトレーニングセールに上場して高値で売る、というのが彼らのビジネススタイルである。
トレーニングセールではセリに入る前に競馬場のダートコースを使った公開調教が行われるのだが、まだ2歳になったばかりの馬たちがラストの1ハロンで、速いものは10秒台という、日本では考えられないような猛烈に速い時計を叩き出す。
つまり、このセリ市に上場した馬を買えば、トラブルさえなければ即戦力として当年中にデビューさせることが可能となる、というのがトレーニングセールのウリである。
バレッツのセール出身の馬があっという間に1勝、2勝と矢継ぎ早に勝利を挙げていくものが続出したため、日本のオーナーや調教師が目を付けないはずがない。セールの日、会場には日本の関係者が多数訪れることから、一時期「バレッツ詣(もうで)」とさえ言われる一大ムーブメントとなっていった。
実際、バレッツセールの出身馬はよく走った。
出世頭は宝塚記念(G1)を制したダンツシアトル。重賞を3勝したヒシマサル。スプリントG1で2着3回したビコーペガサス。スプリンターズS(G1)で2着のエイシンワシントンなど、1990年代初頭から後半にかけてはG1級の能力を持つ馬が続出したのである。
これを引き金に「マル外ブーム」「外車ブーム」が燃え上がった。
バレッツ出身以外の「外車」もまたよく走った。以下、1990年代のG1を制した外国産馬を列挙してみよう。
リンドシェーバー(90年・朝日杯3歳S)
エルウェーウィン(92年・朝日杯3歳S)
シンコウラブリイ(93年・マイルCS)
ヒシアマゾン(94年・エリザベス女王杯、ほか)
ヤマニンパラダイス(94年・阪神3歳牝馬S)
ヒシアケボノ(95年・スプリンターズS)
タイキフォーチュン(96年・NHKマイルC)
ファビラスラフイン(96年・秋華賞)
タイキシャトル(98年・ジャックルマロワ賞、ほか)
シンコウキング(97年・高松宮杯)
シーキングザパール(98年・モーリスドゲスト賞、ほか)
タイキブリザード(97年・安田記念)
グラスワンダー(98、99年・有馬記念、ほか)
シンコウフォレスト(98年・高松宮記念)
エルコンドルパサー(99年・サンクルー大賞、ほか)
マイネルラヴ(98年・スプリンターズS)
アグネスワールド(99年・アベイドロンシャン賞、ほか)
シンボリインディ(99年・NHKマイルC)
ブラックホーク(99年・スプリンターズS、ほか)
「90年代は『外車の時代』」というフレーズは、あながち大袈裟とは言えない状況だった。
前記だけでもおびただしい数だが、さらに2000年以降にも、アグネスデジタル、クロフネ、シンボリクリスエス、ファインモーションなどと、すべての名を挙げるのが難しいほどに多くの活躍馬が出ている。
2000年を機にJRAは天皇賞を外国産馬に開放し、同時にクラシック競走も頭数を限定して徐々に開放を進めていった。そして2007年には、ICSC(国際セリ名簿基準委員会)によって「パート1国」(最上級)に認定され、その条件であった外国産馬への全面開放が実施されて現在にいたっている。
バレッツ社のトレーニングセールは2018年に休止を発表。日本の関係者の「バレッツ詣」は無くなったが、海外への留学経験を持つ調教師や、血統などに明るいオーナーを中心に、ファシグティプトン社のセールのように著名なセリ市高額馬を購買するケースが増えている。
日本調教馬がごく普通の感覚で海外遠征が行われるまでに進化したこと、活馬輸入が特別なことでなくなったこと、いずれも日本競馬がようやくグローバルスタンダードに追いついた証左であろう。