天才の息子・福永祐一は何故「天才」と呼ばれないのか? 「漁夫の利」に集約されたシュヴァルグランでの「決意」に落胆
ところが、好位の5番手につけたニホンピロムーテーは淀の坂のはるか手前、残り1500mほどとなったところからスパート。型破りな騎乗で一気に先頭に躍り出ると、そのまま押し切ってしまった。
「ニホンピロムーテーは1600mなら誰にも負けない。あそこで先頭に立てばゴールまで1600m。このペースなら逃げ切れると思った。あれで負けたら、乗り役をやめても良いぐらいの自信があった」
レース後、福永洋一騎手はそう語った。その騎乗技術や天才が故の発想も然ることながら、祐一騎手に最も足りないと思えるのは「あれで負けたら、乗り役をやめても良い」といえるほど、自身の決断に責任をもって勝負に行ける器量ではないだろうか。
福永祐一騎手もすでにエピファネイアで2013年の菊花賞を制しており、シュヴァルグランでの天皇賞・春や阪神大賞典での走りなど、長距離戦の騎乗は超一流の域に達している。「天才」と呼ばれた父とも差はないはずだ。
しかし、その一方で数多くの実績の中で「福永祐一だから勝てた」と後々になってもファンに語られるようなレースが見当たらない。経験も技量もある天才の息子は、天才になれないのではなく、自ら天才になることを避けているような節があるようにも思える。それが残念でならない。