香港国際競走「負けるわけにはいかん」名伯楽も重圧…武豊×ステイゴールド、福永祐一×エイシンプレストン、そして四位洋文×アグネスデジタルの記憶【競馬クロニクル 第34回】

 いまや日本の競馬ファンにとっても風物詩のひとつになった12月の香港国際競走。

 香港C(芝2000m)をメインとし、香港スプリント(芝1200m)、香港マイル(芝1600m)、香港ヴァーズ(芝2400m)と4つのG1レースで構成され、種牡馬として大成功を果たしたロードカナロア(香港スプリント2連覇)など、多数の日本調教馬が勝利の蹄跡を刻んできた。

 筆者は『優駿』誌の編集部に属していたころ、数年のあいだ“香港番”のようなかたちで取材に出向いていた。国際競走ならではの開放的なムードが心地よく、日本調教馬の走りに一喜一憂しながらの取材はとても楽しいものだった。

 そんな中でもいちばんの思い出は、「1day 3」、つまり同一開催日に3頭が勝ち名乗りを上げた2001年のことである。

 施行順に言うと、この年のスプリントにはダイタクヤマト(大徳大和)とメジロダーリング(目白情人)、ヴァーズにはステイゴールド(黄金旅程)、マイルにエイシンプレストン(榮進寶蹄)とゼンノエルシド(禪宗勝者)、カップにアグネスデジタル(愛麗數碼)と、計6頭の精鋭が香港に乗りこんでいた(括弧内は香港での馬名表記)。

 最初に行われたスプリント(当時は直線1000mで格付けはG2)は、短距離王国の香港勢に歯が立たず、ダイタクヤマトが12着に、メジロダーリングが13着に敗れた。

 2レース目に行われたヴァーズ。これが日本調教馬に勢いを付けた。
 
 長くG1戦線で活躍しながらビッグタイトルには手が届かず、「シルバーコレクター」「ブロンズコレクター」という嬉しくないニックネームまで付けられたステイゴールドは、自身のラストランとしてこのレースを選んだのである。

 レースはゴドルフィン所属で、ランフランコ・デットーリが手綱をとるエクラール(Ekraar)がスムーズに先頭に立つと、後続を手玉に取るかのように、ペースをスローに落として逃げを打った。片や武豊が手綱を取るステイゴールドは中団で脚をためていた。

 エクラールは第3コーナー過ぎからペースを上げ、直線へ向いたときには後続に5~6馬身ぐらいの差を付けていた。「逃げ切り濃厚か」と思った刹那、馬群から抜け出したステイゴールドの末脚が爆発。“瞬間移動”するかのようにみるみる差を詰めて、ゴールの瞬間、アタマ差でエクラールを差し切っていた。

 ステイゴールドはこの年の春に、ドバイシーマクラシック(UAE当時G2、芝2400m)で、のちにワールドランキングでトップを張るゴドルフィン所属のファンタスティックライトを差し切って勝利を収めていたが、そのときにも手綱をとっていた武豊騎手は今回の驚異的な末脚を「まるで羽根が生えたようだった。ステイゴールドはゴドルフィンの青い勝負服を見ると燃えるんですかね」と話して日本の取材陣を沸かせた。

 通算50戦目にして初のG1制覇を海外のラストランで成し遂げたのが、良きにつけ悪しきにつけファンの心をもてあそんできた、いかにも気ままなステイゴールドらしい。

 表彰式では、クラブ法人の社台レースホースでステイゴールドに出資した多くの人たちを引き連れて社台ファーム代表の吉田照哉さんがターフに出てくると、音頭をとって万歳三唱したことがいまも記憶に残っている。

 次のマイルに登場したのは、この年のマイルCSの1、2着馬、ゼンノエルシドとエイシンプレストン。このレースでは福永祐一騎手との名コンビであるエイシンプレストンが呆気にとられるほど軽快に突き抜け、2着に3馬身以上の差を付けて圧勝(ゼンノエルシドは14着)。のちに当地のクイーン・エリザベス2世C(G1、芝2000m)を連覇して“香港の申し子”と呼ばれる契機となった。

 このとき、筆者はある人の動向に目を向けていた。アグネスデジタルを管理する白井寿昭調教師(現・解説者)である。日本調教馬が2連勝する流れのなかで、白井の表情が不思議とこわばっていたことに気付いたからである。

 レースは激戦となった。

 またも逃げたのはゴドルフィン所属でデットーリが騎乗するトボグ(Tobougg)で、四位洋文が乗るアグネスデジタルは先団を前に見る5番手を進んだ。絶妙なペースでトボグが後続を引っ張るなか、アグネスデジタルは馬群の外から進出を開始。トボグと並ぶようなかたちで直線へ向いた。

 脚色にまさるアグネスデジタルがすぐさま先頭に躍り出るが、デットーリ渾身の叱咤によってトボグが“二の脚”を使って食らいつく、後ろからはクリストフ・スミヨン騎乗のテレアテレ(Terre a Terre)も迫って来る。

 しかしアグネスデジタルは、3頭による激しい叩き合いの末、トボグをアタマ差抑えて勝利。表彰式に臨んだ白井の表情からは、ようやく笑顔がのぞいていた。

 奇跡の3勝を挙げた夜は日本から訪れていた、興奮冷めやらぬライターやカメラマンたちがホテルに荷物を下ろしてから再集合。時計の針がてっぺんを過ぎるまで飲み明かした。それは、ほとんどのスタッフが日本調教馬3頭の活躍によって懐具合が良かったせいでもあった。

 のちに別件の取材で白井調教師の厩舎を訪れた際、主な話を終えたところで、香港で表情がこわばっていた理由を訊いてみた。

「いやぁ。まいったなぁ、気付かれてたんや。いやね、ステイゴールドとエイシンプレストンが勝っちゃうもんやから、天皇賞馬(アグネスデジタル)を連れて行って負けるわけにはいかんやろうと思うて、すごいプレッシャーを感じてたんよ。勝てたときには、嬉しい気持ちよりホッとする気持ちが強かったね」

 白井はそのときの心情をそう語り、当日のことを思い出すかのように笑みを浮かべていた。

 2019年にはグローリーヴェイズ(ヴァーズ)、アドマイヤマーズ(マイル)、ウインブライト(カップ)の3頭で2度目の「1day 3」を達成した日本調教馬。それが「達成できても何の不思議もない」と感じられたのは、ひとつには欧米でG1勝ちする馬がしばしば現れるようになったこと、また2001年よりさらに日本競馬のレベルが上がったからだと感じている。

 余談だが、筆者は歴史的快挙を起こした2001年の香港国際競走に手渡されたプレス用のパスやレーシングプログラム、記念馬券などをいまも大切に保管している。(一部敬称略)

三好達彦

1962年生まれ。ライター&編集者。旅行誌、婦人誌の編集部を経たのち、競馬好きが高じてJRA発行の競馬総合月刊誌『優駿』の編集スタッフに加わり、約20年間携わった。偏愛した馬はオグリキャップ、ホクトヘリオス、テイエムオペラオー。サッカー観戦も趣味で、FC東京のファンでもある。

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