武豊騎手JRA「G2・100勝」達成記念【前編】メジロマックイーン、ナリタブライアン、サイレンススズカ……時代を彩った「天才の歴史」をプレイバック

【8】1989/11/11「デイリー杯2歳S(G2)」ヤマニングローバル
【9】1990/4/1「大阪杯(G2)」スーパークリーク
【10】1990/7/8「高松宮記念(G2)」バンブーメモリー
【11】1990/10/7「京都大賞典(G2)」スーパークリーク
【12】1991/2/24「マイラーズC(G2)」ダイタクヘリオス
【13】1991/3/10「阪神大賞典(G2)」メジロマックイーン
【14】1991/3/24「スプリングS(G2)」シンホリスキー
【15】1991/10/6「京都大賞典(G2)」メジロマックイーン
【16】1992/3/15「阪神大賞典(G2)」メジロマックイーン
【17】1992/5/3「フローラS(G2)」キョウワホウセキ
【18】1993/4/4「大阪杯(G2)」メジロマックイーン
【19】1993/10/10「京都大賞典(G2)」メジロマックイーン

 天皇賞・春連覇や宝塚記念圧勝、さらには天皇賞・秋での歴史的降着劇など、若き武豊と共に競馬界を席巻した稀代の名ステイヤーは、引退レースもド派手だった。勝ち時計の2:22.7は当時のレコード。3馬身半差で置き去りにした2着馬レガシーワールドが次走ジャパンCを勝利していることからも、最後まで当時最強の存在だった。その”余力”は種牡馬生活には活かされなかったが、種牡馬引退から数年後、ステイゴールドとの「黄金配合」で思わぬ日の目を見ることになる。

【20】1994/2/20「目黒記念(G2)」ナリタタイシン
【21】1994/3/6「マイラーズC(G2)」ノースフライト
【22】1994/4/23「京王杯SC(G2)」スキーパラダイス

 日本に遠征してきたフランス調教馬とのコンビで掴んだこの勝利がきっかけで「武豊」という存在は、広く世界に知れ渡ることとなる。その後、主戦騎手に抜擢された武豊は欧州のトップクラスを経験。同年のムーランドロンシャン賞で、日本人騎手初の海外G1勝利を達成している。翌年、弟のスキーキャプテンで日本人騎手初のケンタッキーダービー参戦を実現するなど、武豊が「世界のユタカ」になる”きっかけ”となった馬だった。

【23】1994/6/26「CBC賞(G2)」ニホンピロプリンス
【24】1996/3/3「弥生賞(G2)」ダンスインザダーク
【25】1996/3/9「阪神大賞典(G2)」ナリタブライアン

 競馬ファンの間で「伝説の土曜日」と呼ばれたのがこのレースだった。屈腱炎からの復活を懸ける三冠馬ナリタブライアンに襲い掛かったのは、前年の年度代表馬マヤノトップガンだ。レースは4コーナーから2頭が抜け出し、競馬史に残る壮絶な叩き合い。後続を9馬身以上ちぎったマッチレースは、頭差で武豊とナリタブライアンに軍配が上がった。

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