武豊「サイレンススズカ2世」タニノフランケルとコンビ結成!「屈辱」の別れから約6年ぶり”和解”……名牝ウオッカの仔で「伝説」再び
2009年の天皇賞・秋(G1)で敗れた際、武豊騎手はウオッカの掛かり癖を指摘し「今は2000mでも長い」と指摘。そこで陣営は本馬に「掛かるイメージを持っていない騎手」として、C.ルメール騎手を起用した。だが武豊騎手にその旨を伝えることがかなり遅れるなど、両者の間には深い溝ができることに……その後、ウオッカはルメール騎手でジャパンC(G1)を制覇。武豊騎手にとっては、なんとも屈辱的な結果が残ることとなった。
その後、ウオッカの谷水雄三オーナーとは疎遠となり、騎乗依頼が激減。武豊騎手が谷水オーナーの所有馬へ最後に騎乗したのは2012年まで遡る。
しかし、逆にそんな谷水オーナーが約6年ぶりに武豊騎手に依頼したということは、それだけタニノフランケルへ大きな期待を寄せている裏返しといえるだろう。これまで勝つときは後続を大きく引き離した圧勝だけに、本馬に対して「まだポテンシャルを持て余しているところがある」と評価する関係者も少なくない。
かつて底知れぬ能力を秘めながらも、その力を上手く使えずもがき苦しんでいたが、天才・武豊騎手と出会い、史上最強馬の一角に名を連ねるまでに成長した馬がいる。1998年の宝塚記念(G1)を制したサイレンススズカだ。
3歳までは、大レースで人気を集めては敗れる一介の逃げ馬だったサイレンススズカ。しかし、武豊騎手を主戦に迎え、古馬になってから本格化する。後続を大きく引き離す「大逃げ」を武器に、怒涛の5連勝で宝塚記念を制覇。秋の毎日王冠(G2)では、エルコンドルパサーやグラスワンダーといった後の歴史的名馬を子供扱いし、現役No.1の座を欲しいままにした。
しかし、悲劇は突然やってきた。単勝1.2倍という圧倒的な1番人気で迎えた天皇賞・秋のレース中に、まさかのアクシデント……左前脚の手根骨粉砕骨折と診断され、安楽死処分となった。
「あの時、武豊騎手はショックのあまり、お酒を飲みながら号泣したそうです。数々の大レースを制し、競馬の酸いも甘いも人一倍嚙み分けてきた騎手ですが、やはりサイレンススズカには相当な思い入れがあったようで……。今でも本馬を史上最強馬に挙げる競馬ファンの方も数多くいますね。それだけ衝撃的な走りをする馬でした。