天才の息子・福永祐一は何故「天才」と呼ばれないのか? 「漁夫の利」に集約されたシュヴァルグランでの「決意」に落胆
しかし、だからこそ負かすためには騎手の特別な力が必要なのではないだろうか。力を100%引き出した天皇賞・春で敗れた以上、勝つための最善策は再び100%を引き出して”漁夫の利”を待つことではないはずだ。
自らリスクを背負い120%の力を引き出す「乾坤一擲の騎乗」ではないだろうか。
福永騎手には「あれで負けたら、乗り役をやめても良いぐらいの気持ちで勝負に行きました」と胸を張って言えるような大胆な騎乗を期待したい。それでこそ「天才の息子」といえるのではないだろうか。
「魔術師の息子」に天才のお株を譲り渡したままでは、いつまで経っても「福永祐一の時代」はやってこない。
(文=浅井宗次郎)