武豊の重賞初勝利に、安田隆行×川田将雅の師弟コンビ…その影響力は今なお大きく。「皇帝の仔」トウカイテイオーがナイスネイチャらを子供扱いした若駒S【この日、何の日】 1月19日編

撮影:Ruriko.I

1991年1月19日

 前年には皐月賞馬のハクタイセイが、後に無敗の三冠馬ディープインパクトが出世の足掛かりとしたことで知られる若駒S。1991年の1月19日に行われたこのレースは、この馬のためにあったと言ってもよかった。

 後の無敗の二冠馬トウカイテイオーである。

 クラシックを見据えた若き9頭が集ったレースは、まさにトウカイテイオーの独壇場だった。単勝1.3倍の支持を集めた大本命は中団からレースを進めたものの、向正面で早くも進出を開始。3、4コーナーで先頭集団に並びかけると、最後の直線ではあっさりと抜け出して見せた。

 2馬身半差の2着イイデサターンは後の毎日杯(G3)の勝ち馬。4着シンホリスキーはこの後、きさらぎ賞(G3)とスプリングS(G2)を連勝するなど、相手も弱くない。なお有馬記念(G1)で3年連続3着など、長くファンに愛されたナイスネイチャはここでも3着だった。

 ちなみに勝ち時計2:01.4は現代では特別目立ったものではないかもしれないが、次にこれより速い時計を記録したのは14年後のディープインパクトである。

 史上初の無敗の三冠馬「皇帝」シンボリルドルフの代表産駒として知られる「帝王」トウカイテイオーだが、その誕生は偶然が重なったものだった。

 母トウカイナチュラルは姉にオークス馬トウカイローマンがいる良血だったものの、未出走のまま繁殖入り。そのため、この年に種牡馬入りしたばかりのシンボリルドルフは姉と配合される予定だった。

 しかし、引退レースになるはずだった新潟大賞典(G3)で2着に好走したことで、トウカイローマン陣営は現役続行を決断。一転して、シンボリルドルフは代役のトウカイナチュラルと配合されることとなり、そうして生まれたのがトウカイテイオーだった。なお、トウカイローマンはこの年に京都大賞典(G2)を勝利しているが、これは武豊騎手の重賞初勝利でもあった。

トウカイテイオーは「僕の人生のすべて」

「大きいところに出ても勝負できる。はっきり自信がつきました」

 レース後、そう自信を深めたのは当時のトウカイテイオーの主戦・安田隆行騎手だ。「安田隆行」といえば、今の競馬ファンにとってはロードカナロアやカレンチャンなどを手掛けた名伯楽の印象の方が強いだろう。

 また、先日13日の愛知杯(G3)をミッキーゴージャスで勝った川田将雅騎手の師匠としても有名な安田隆調教師だが、勝利騎手インタビューで川田騎手が「『小倉の安田』と言われるくらい馴染みがあった小倉で重賞を勝てたことをとても嬉しく思います」と話していた通り、騎手の現役時代はローカルを得意とする中堅騎手だった。

 安田隆騎手は当時、まさにキャリアの絶頂を迎えていた。前年にトウカイテイオーがデビューした12月1日には、この勝利を含めて6勝を挙げ、中央競馬の1日勝利の新記録を樹立。自己最多の83勝を挙げて、初めてリーディングトップ10入りを果たしている。

 そんな安田隆騎手にとって、後に自身と皐月賞(G1)、日本ダービー(G1)を勝利して無敗の二冠を達成するトウカイテイオーは「僕の人生のすべて」と後述するほど大きな出会いだった。なお、安田隆騎手はトウカイテイオーが引退した翌年の1994年に調教師試験に合格し、名伯楽としての道を歩み始めている。

 あのトウカイテイオーの若駒Sから33年。71歳のシーズンを迎えた安田隆調教師は、2月一杯で引退することが決まっている。川田騎手が先日の愛知杯で感無量だったのは、師匠と挑む最後の重賞レースで勝利を飾れたからだ。

 安田隆調教師と川田騎手の師弟コンビに加えて、武豊騎手や後の主戦となる岡部幸雄騎手、引退レースで1年ぶりの奇跡を起こした田原成貴騎手。トウカイテイオーはその類まれな競走成績以上に、現在の競馬界の根幹に大きな影響を与えた名馬だった。

GJ 編集部

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