武豊とエアスピネルに「覚醒」の兆し。「不可解騎乗」と言われ「降板劇」の原因になった安田記念で見えた「もう一段速いギア」とは
結果的には、本人が「直線で前が開かない時間が長く続いて、エアスピネルもボクもストレスが積もる結果となりました。4コーナー手前で、レッドファルクスに先に入られたポジションにこちらが先んじていれば、結果は全然違っていたでしょう」と語り、「あのワンプレーが悔やまれます」と悔しさを露にしたように”裏目”に出てしまった。
実は武豊騎手がエアスピネルで後方待機策を試みたのは、これが初めてではない。昨年の神戸新聞杯(G2)でも15頭中13番手という後方待機を試みている。
その際は上がり34.5秒で全体3位だったが、それよりも前で競馬していたサトノダイヤモンドの34.2秒やミッキーロケットの34.0秒には遠く及ばない数字だった。この結果受け、武豊騎手は一度後方待機策を封印。次走から、再び従来の好位からの競馬に徹した。
ただ、おそらくこの段階から、武豊騎手はエアスピネルの後方待機策を可能性として意識し始めている。2度目の試みとなった安田記念で、リスク覚悟でインコースに拘ったのは、大外を回した神戸新聞杯で届かなかった経験からではないだろうか。
結果的に敗れはしたものの、最後の末脚には目を見張るものがあった。上がり3ハロン33.6秒は、勝ったサトノアラジンに次ぐ第2位。スムーズなら突き抜けていた可能性が高く、この末脚こそが武豊騎手が言う「もう一段速いギア」の片鱗ではある可能性は高い。
実際に数々のビッグタイトルを手にしてきた武豊騎手だがエアスピネルに限らず、これまで何度も後方待機策から「もう一段速いギア」を引き出し、勝ち切れない馬を勝たせてきた経験がある。
例えば、1996年の日本ダービー(G1)をクビ差で落としたダンスインザダークで挑んだ菊花賞では、これまでよりもさらに後方の位置取りからレースを運んだ。その結果、3000mのレースで上がり第2位を0.5秒も突き放す33.8秒の鬼脚を爆発させ、ラスト一冠を見事にもぎ取っている。