【武豊は共通言語】競馬がつなげる人と人 〜ネクラ女医の競馬日記No.34〜
パリ五輪が盛り上がっていますね。
先日は総合馬術で大岩義明選手率いるチームが3位に上り、実に92年ぶりに馬術競技のメダルを日本にもたらしたことが話題になりました。フィギュアスケートやスケートボードのように、オリンピックをきっかけに乗馬の競技人口が増えたら、日本の引退競走馬の受け皿も豊かになるかもしれませんね。
さて、日本にとって馬術競技初のオリンピックメダルは、1932年のロス五輪「障害飛越個人」の部、陸軍将校・西竹一と愛馬ウラヌスが獲得した金メダルでした。彼は流暢な英語を操る気さくな伊達男で、米国の名優ダグラス・フェアバンクスとも親交を結んだほどでした。
そんな西が硫黄島の戦いで死を遂げたのは、ロス五輪から約13年後のこと。映画「硫黄島からの手紙」(米・2006年)にも、西は登場しています。彼は傷ついた米兵の手当てを部下に命じ、敵も自らと同じ人間であると語ります。西は馬を通じて、米兵が名のない敵ではなく、心ある人間であることを知っていたのです。そんな西の人間性に溢れる目線は、現代人に多くの問いを投げかけます。
パリ五輪の総合馬術では、日本に加え、イギリス(1位)、フランス(2位)が表彰台に上りました。第二次世界大戦でかつて睨み合った国々が並ぶ姿。それは、平和の祭典たるオリンピックの理念を表す光景でした。
しかしながら競馬にも、似たような光景がありふれているのではないかというのが、私が常日頃に考えていることです。
海を越え名馬と名騎手が集う国際競走、各国のホースマンの夢が詰まった血統図。当たり前のようにインターナショナルな空気を孕む競馬という文化は、異なる人種、国籍、文化を超えて、人々が互いを理解するきっかけとなりうるのではないでしょうか。